あって当たり前
先日夏も終わりになりかけた頃、我が家の飼い犬のチェリーは、雷におびえ夜中というのにキャンキャンとなき続けました。その前にもそういった事があり、父が夜中に雨の中散歩に連れて行ったのですが、何かの拍子に鎖を付けたままどこかに逃亡したのでした。4,5日後、かなり遠くの場所で親切な人に預かってもらっていて無事戻りましたが、その思い出がいいと感じているのか、とにかくなき止みません。近所迷惑だし、夜中の3時半でどうしようもなくなり、鎖をほどしてやりました。今回はすぐに戻るかと思いましたが、やはり戻ってきません。そして、やっと見つけたときには、車に跳ねられてまともには歩けない状態でした。動物病院に連れて行きましたが、手術もできないという事でした。情けない顔で、ぼくの顔を見ます。僕も、これでは薬殺とかしかないのかなと最悪の事を考えましたが、幸い何とか3本足で散歩に出かけられる状態で今は暮らしています。
チェリーを見ていると、馬鹿なことをしたな。と思う反面、人間も似たようなものかもしれないと思いました。酒を飲んだら大変なことになるかもしれないと思っても、平気で運転する、それまでは平気だったのに地球が温暖化してくるとあわてて何とか対処しようとする。はやく気付けと仏様に言われているのに気がつかない愚かな存在という感覚です。
ところで、最近「大石順教尼」という方の存在を知りました。インターネットに出ている彼女の紹介はこうです。
−大石順教尼
明治21年〜昭和43年
順教尼はもと大阪堀江の名妓で、芸名妻吉、本名よねといったが、1905年(明治38)6月21日養父の狂刃による6人斬り事件の巻き添えをうけ、17才で両腕を切断された。人生のどん底を生き抜き、やがて求道者の目を開き出家。6人斬り犠牲者の追善と身体障害者の救済に生涯を捧げた。1968年(昭和43)没。−
この人の凄いのは、十九歳の時、カナリヤが口だけで雛を育てるのを見て、口に筆をとることを思いつき、以後、独学で書画の勉強に励まれたということです。昭和11年には京都山科勧修寺境内に身障者福祉相談所「自在会(のち仏光院)」を設立し福祉活動に献身する一方、口で筆をとり絵画・書に励み、昭和30年、口筆般若心経で日展書道部入選、同37年には世界身体障害者芸術家協会会員として東洋初の認証を受け、昭和43年、80歳にて遷化されました。書は、本当に素晴らしくとても口で書いたとは思えません。
五体満足でいられるということをありがたいと感じたことは普段はないと思います。順教尼のように災難を自分に対する試練と思い立派に生きられるような事は、難しいと思いますが、手のない人だってあれだけの事ができるのなら我々はもっとできる可能性を含んでいます。
チェリーも、反省したのか最近はおとなしくなり以前よりいい犬になっています。見ていると生きることのすばらしさを感じます。とりとめのない話になってしまいましたが、何か自分のまわりの当たり前の事に感謝できるようになりたいと感じた次第です。
大石順教尼の書画