トップの在り方
懇意にしていただいているウィーン・フィルのコンサートマスターであるライナー・ホーネック氏がヴァイオリンと指揮(演奏は名古屋フィルハーモニー)を行うコンサートが、1月21日に名古屋のしらかわホールでありました。演奏は素晴らしく大変雰囲気の良いコンサートでした。
普段、楽器を弾くだけで指揮をあまりしない氏でしたが、本物の持つ迫力で指揮もなかなか素晴らしいものでした。演奏後、懇親会があり、名古屋フィルの方々とも色々お話しました。練習はかなり長い時間に及んだようで厳しいものだったようですが、その事についての不満はほとんどなく、むしろ練習も含めて夢のような時間を過ごしたという賛辞で一杯でした。彼を尊敬しているという事が根底にあるとは思いますが、一緒にいい音楽を作ろうという彼の心が楽員に伝わっているという事なのだと私は思いました。
一方、彼よりも上席にあたる第1コンサートマスターのライナー・キュッヒル氏も名古屋フィルハーモニーと共演していますが、あまり評判はよくありません。何故なのか楽員の人に聞くと、自分が目立とうとしているのが露骨にわかるからといった事でした。
指揮をするという事は、自分が意図する音楽を自分が音を出すわけでもなく相手に出させるという事です。したがって、相手が自分の意図を感じてそのように動いてくれるという事が必要になります。
資本主義の世界では、経営者と使用人といった、指揮者とオーケストラに近い仕組みがあります。先に書いた例では、ああしろこうしろと言われ、その結果「夢のようだった」と言っているわけです。ある経営者に命令され使用人が「夢のようだった」といってくれるでしょうか。どうすれば、そういうふうになるのでしょうか?
思うに、それは楽員が思うお客さんの前でいい音楽を提供したいという思いと指揮をする人間が思うそういう思いが合致し、お金儲けという順番が後になっている事。指揮をする人間の言うことを聞くことで自分も高められるといった事などが主な理由ではないでしょうか。
そう考えると、経営者には会社を通して社会にどう貢献するかといった理念が必要ですし、仕事をすることで社員をはじめ会社に関わる人がどういうふうに幸せになるかといったビジョンが必要です。
堀江氏が問題を起こして社会問題になっていますが、彼はなるべく目立って、大した理念もないのに(?)何か凄い人物だといったような雰囲気を出して経営をするといった手法でした。やはり本当の理念がないとどこかでほころびが出るような気がしています。