万博閉幕に想う
万博が終了して何か寂しい感じがします。個人的には、中部シンガポール協会の関係でシンガポール館との親しい関係もありましたし、万博がこの愛知県での開催ということからも格別の思いがありました。
あれだけの規模のイベントを行うには、大変な苦労があったことは容易にわかります。事故もなく多少問題は発生したものの、特に大きな問題もなく終了したのはすばらしいと思います。
ところで閉会式を見ていて、もう次に万博が開かれたとしても自分は生きていないだろうから見ることはできないんだろうなあと思ったらちょうと寂しい気持ちになりましたし、自分が年をとったなと感じました。昔は、隠居という制度がありました。自分の子供などに後を任せて自分は老後を過ごすわけです。自分の代ではやれないこと−そういった事は次の世代に託すしかありません。閉会式に参加している子供たちを見ていて、隠居ではありませんが若い人にこうして引き継がれていくんだと感じました。
さて、最近名古屋は元気がいいと言われますが先日、栄にできた「ラシック」という三越の新館に行ってびっくりしました。吹上のイオンにもびっくりしましたが、これが名古屋?といった感じです。いつの間に名古屋はこんなに変わっていたんだと愕然としました。変化の速度が以前とは比較にならないほど早い気がします。
企業も、知らない間に老いているのです。気が付かないうちに企業を取り巻く環境が変化しています。たとえばおもちゃはゲーム機にCDの音楽は「着うた」などといったように変化しています。そういった変化が早くついて行くのは大変なのです。先日もテレビで温泉旅館の実態を見ましたが、経営は大変なようです。昔ながらの女将が出てきて部屋を回って挨拶する−そんな旅館は次第に減ってきています。
こういった老いに対抗するには若い力しかありません。若い後継者に託すか、自らが若い精神を持ち続けるかです。一番よくないのは、そういった意識がなく過去の成功体験にとらわれている経営者ではないでしょうか?
変化は、ある人にとってはチャンスですが、ある人にとっては一からの出直しです。万博の終了は、新しい事の始まりの胎動に違いありません。万博での成果を基に新しい時代が築かれて行くのです。
寂しい事ですが新しい芽は枯れた植物の葉が腐ってそれが栄養となって生えてきます。そういった芽が出てくるようにすることが枯れていく葉の役目でもあるのです。