信長のやり方(H17/04)
 最近、何かと話題なのがライブドアの堀江氏です。まさにコンピュータの時代の寵児として良くも悪くもマスコミに取り上げられています。豊富な資金調達力でM&Aを繰り返し驚くほどの速度(コンピュータの世界で言うドッグイヤー)で会社の規模を拡大しています。M&Aは、時間を買うのだということが言われますがまさにそのままです。
 個人的には、彼の言っていることがよくわかるのですがなぜか世間ではソフトバンクの孫氏と比較してあまりよく言われていない気がします。
 ところで、時代の寵児の元祖は織田信長かもしれません。戦国時代に当時の最先端技術であった鉄砲を戦いに取り入れ、最強の武田騎馬軍団を長篠の戦いで破り、外国とも積極的に交流し安土に南蛮寺などを建てたりもしました。こういった従来の常識にとらわれない新しい気風は堀江氏とも通じるものがあります。
 では、何が違うのでしょうか?いくつかの点を考えてみました。
 まず、よく信長のドラマで見るシーンですが、美濃の齋藤道三に嫁取りの挨拶に行くシーンです。最初信長はひどい服装で道中を行きます。しかし対面の場に現れた信長は衣服もきちんとして道三を驚かせます。次に、これはあまり知られていませんが、武田信玄に対する態度です。信長は戦国最強の武田信玄を心から恐れていたようで、多くの贈り物を送ったのは言うまでもなく同時に信玄の娘と自分の息子の婚儀も考えていました。
 堀江氏と比較するのならまず、服装です。記者会見とか何かの瞬間にきちんとした服装で丁寧に自分の意欲を述べたらずいぶん世間の印象は異なるのではないでしょうか。政治家をはじめほとんどの人は堀江氏よりも年上です。堀江氏からみたらつまらないどうでもいいことが意外と大事な事のように思います。そういった意味でも彼の味方になって支持してやろうという人は少ないでしょう。
 また権威や年上を敬う気持ちも大切です。齋藤道三も対面以来自分の息子よりも婿の信長の将来を楽しみにしたと言われています。敵を味方にしたようなものです。戦いは最小限度にとどめてこそ名将です。味方は多くし敵は少ないに限ります。比叡山の焼き討ちだって信長はいきなりやった訳ではありません。誰彼なく戦うのではなく何度か手紙などを送りどうしてもラチが開かないとき武力を行使する。ある程度の規模になれば実際武力を行使しなくてもそういったことを臭わせるだけでも目的が達成できたりします。徳川家康も敵だった武田家が滅んだ後、家臣をそのまま召し抱え、「赤備え」という武田家の家臣の山形氏の鎧をそのまま自分の家来の井伊家の家臣の鎧として用いました。こういう事で家来の気持ちを味方にしたのです。堀江氏から見れば言っていることは正しいのにうまくいかないというのは、世間がおかしいとか日本が世界と比べておかしいと思えるかもしれませんが歴史から学べばもう少しやり方はあるように思います。