信長の凄さ
 信長の事については、従来「信長公記」という信長の家来が書いた本がたいへん詳しいとされています。(江南で発見された「武功夜話」という本は偽書という意見も強くあり私もそう考えています。)今回は、信長公記に見る信長を中心に考えてみたいと思います。
 前田利家は、ドラマと違って信長公記ではあまり出てきません。重要な働きをしていなかった事がなんとなくわかります。私は彼は出世についてはたいへん「ついていた」男だと思います。
 経営者としてもやはり信長は尊敬に値します。信長公記を読んでみると信長の考え方は、「信賞必罰」につきます。何か、冷酷非情な破壊者のイメージがありますがそうとも言い切れません。こんな逸話が書いてあります。
 美濃と近江の間にある山中という処に不具者が乞食をしていた。京への道すがらそれを見た信長は、ある日土地の者を呼んで自分がお金を出すのでその者の為に小屋を造ってやり米や麦を少し分けてやれと命令します。村の者たちもその優しさに泣いたという事が書いてあります。こういったこととは別に一生懸命やった者に対してはたいへんあつく褒美を出しています。
 一方、家来の佐久間信盛に対しては働きが悪いという事で、追放してしまっている。例え、古い家来であっても容赦はない。逆に秀吉のように新しい家来でも働きのよい者は重用するというたいへんメリハリのきいた人事をしています。
経営という点で、参考になる事ばかりではありませんが、封建時代においてこういった価値観を持っていたというのはすばらしいと思います。
 比叡山の焼き討ちについても、いきなり焼いたわけではありません。何度か僧を呼んで、敵の味方をしない事ないしは中立でいる事を要請しています。それに従わない場合は、焼くぞと。一旦焼くと決めたらその命令を徹底させる。だから、次第に皆従うようになります。ある意味、比叡山は信長をなめていたのでしょう。
 また、キリスト教に対してもたいへん寛容で安土に教会などを建てさせています。古いから偉いとかいう考え方を嫌ったのでしょう。
 信長は、「人間五〇年、下天の内に比べれば夢幻の如くなり」という舞を好んだと書いてあります。下天とは、化楽天という仏様の世界で、その中では五〇年が一日に相当するという事を言っています。人間のはかなさを感じさせます。今やらないでいつやるんだという気迫が感じられます。だからこそ、他人にも厳しくなってしまうのではないでしょうか。
 あいにく信長の長男である信忠も本能寺の変で死んでしまった為、信長の世は最後は本当にはかないものになってしまいました(もうこの時既に信長は家督を信忠に譲っていました)が他の戦国大名とは異なる独自性は、経営でも学ぶべき事が多いと思います。